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甘口時評
  訃 報
 谷口静司さんがお亡くなりましたので、これで「甘口時評」はおしまいです。『読んでくださって、ありがとうございます。』と申しておりました。
 また、毎月の「クラシック新譜紹介」や2カ月に一度の「さっぽっろAVシアター」も終了いたします。
 各関係の皆さまには、いままでお世話になり、ありがとうございました。

 
 ◇  ◇  ◇  ◇ 
 谷口静司さんは7月23日(水)午後10時、肺炎のため死去。83歳。
 葬儀は故人の遺志により、ご家族のみの直葬とさせ相済ませております。
 尚、勝手ながらお心遣いは一切ご辞退申しあげます。
(7月24日・記)

 
category:甘口時評, 18:45
第270回さっぽろAVシアター延期のお知らせ

 1983年から続けている催しです。現在は偶数月の年6回。
  (催しの詳しい内容は、画像を2回クリックして下さい。)
[お知らせ]
  解説者の体調不調により、6月29日(日)開催の「さっぽろAVシアター」は延期いたします。
 ご了承ください。

 
category:さっぽろAVシアター, 16:14
甘口時評
  「早くも今年のお節」
 お節が終ってまだ3月にもならないのに、もう次のことを考えている。我ながら相当な喰いしん坊と呆れるばかりで、決して食通とかグルメというのではない、勿論バーンスタインの座右の銘「予定に先行せよ」を身をもって実践しようというご立派なものでもない。

 去年のお節はこの時評にも書いた。いつもと同じく札幌のフランス料理店のものだ。例年同様大変満足したのだが、ちょっと考えなければならない問題もある。大晦日は白、元日は白赤ともやって2日は赤だけというのがこの頃の習慣だったのだが、こうワインに先行されてしまうと、日持ちを気にしなくてはいけないお節にはちょっと不都合なことが起きてしまう。白ワインに合うものは足が早く、赤は焦らなくていい、というわけではない。これまでは何となく番号を合わせてきた。そろそろ妙手を考えねば、ということで、今まで思いもしなかった。3日ともソトメシではどうか、という考えだ。

 いつも頼んでいるレストランのお節は大変な人気で、毎年予約開始を待ちかねている人が大勢いる。私などが抜けても全く困らないはずだ。大晦日も昔から年越しソバの風習のあるこの国だから、やっているソバ屋は沢山ある。事前に決めて予約しておけば何も問題はない。円山の「艸庵(そうあん)」などはどうかな。

 元日からやっているレストランなどあるものか、これが気がかりだった。最悪の場合はホテルという避難所があるにはあるが、これはなるべく避けたい。と悩んでいるところに、桑園にある「プロヴァンサル・キムラ」というのが元日から、普段とは別メニュー、別時間割でやっているというではないか。近く様子を見に、つまり食べに行ってみようか。

 2日続けて同じレストランというのも芸のない話で、最終日の2日をもっか思案中だ。よほどのヒマ人と笑わば笑え、最近頓に食欲が落ちてきた身には人生の一大事なのだが、果してこのアイディアに家人が賛同するか、そこのところがやや気掛りではある。
(5月23日・記)

category:甘口時評, 12:29
甘口時評
  「近頃の若い者と、近頃の若くない者」
 近頃の若い者は・・・・と年輩者は口を揃える。昔から繰り返される、珍しくもなんともない話だ。それでも昨今は大分様相が違う。年輩者から見て若者が頼りなく未熟で、いうところの青い感じは、成長が動物の中で極端にスロースピードな人類にとって当り前に過ぎないのだが、単に青いと危っかしがるのは昔のことで、今は無気力、夢がない、望みが低い等々、絶望的に酷い評価が横行している。

 多くの人が指摘している(はずだ)が、これは当っている。そういう若者をつくり出したのは酷評している年輩者だ、と気がついている人だって決して少くない(と思う)。若者が本来もっている、年輩者には羨しくも眩しい、誤りを怖れぬ自信と、推進力に満ちた実行力が今のように過去の神話みたいになると、年輩者の方も嘆いているどころか、不安になって当然だ。

 近頃の若い者は・・・・という低評価は昔も今も一応変ってはないが、単に青臭い以上に魅力に乏しい手合いが増殖しているのに危機感を持ってしまう。いやそれ以上に、近頃の若い者ならぬ昔の若い者の堕落ぶりは、看過できない大問題ではないか。

 夢がない、望みが低い、みな似たようなタイプの小粒な人間がいかに多くなったか。もちろん責任の多くは本人達にあるが、政治の劣化がじわじわと現れてきたのだ、と私には見える。

 一部の大学教師や、いわゆる学識経験者といわれる人達がカタカナ語や難しい専門用語や諸外国の例を持ち出してくれなくても、日常の些細な言動にも、我々がもはや手直し不能と脅えるような光景を目にすることが多くなって、留るところを知らないほどだ。

 乗り物に乗ろうと、混雑する例えばデパ地下に入ろうと、人の大勢集まる所では必ず経験するあれである。眼中にヒトなく、往来の邪魔になろうと、完全に自己中心だ。いや自己そのものも希薄になっているかも知れない。

 原発問題と同じか、それ以上の大問題ではないか。
(5月16日・記)

category:甘口時評, 09:36
甘口時評
  「続・イタリアの孫娘」
 孫娘がイタリアはミラノに移住したのは、公認会計士の連れ合いの転勤だ。4年という見込みというが、当人達は、次はどこを希望しておこうかと、意気軒昂らしい。

 孫娘も公認会計士だったが、子育てと両立できる仕事ではないと思ったらしく、あっさり完全主婦業に専念すると宣言。子供は4人くらいなどと、おそろしいことをほざいていた。

 3年前の2月に男の子が生まれ、去年の4月(1日午後11時29分に生れて、31分の差でこれも早生れになるらしい)には女の子が生れた。直後、今でもホントに4人産むのか、と聞くと、3人生んで、4人目はそのあと考えるとヌカス。いずれにしても公約通り3、4人はつくるのでは。

 その長男だが、こちらに居た時はいつも午後3時くらいに昼寝をちょっとしていたが全くしなくなった。妹の方は昼夜逆転。母親としては四六時中気が抜けずに大変な毎日らしい。

 素人考えに過ぎないが、これは例の時差による一時的な状態ではないか。いずれミラネーゼになりきって、日本にいた時の習慣が戻ってくるだろう、と予測してみたが、想像しい上に時間はかかったが、やはり元に戻ったようだ。

 時差は英語ではジェット・ラグというそうで、英語というより米語くさいと睨んでいるが、確かにジェット旅客機が一般化するまでは、時差ボケなどということは余り気がつかなかった。

 地球が自転している関係で、東から西へ飛ぶ方がその影響は少い。欧州帰りはこの時差でいつも使いものにならなくなっていた自分を、今思い出す。

 大人はそれでも、記憶とか知識等で補正して時差の影響を極力少くするようにするが、全くそれをする筈のない乳幼児はモロに時差が表に出るのだろう。

 任期満了まで1度も帰ってこないこともなかろうが一時帰国でもなんでもいいから、またウチに顔を見せにやってきたら、現地仕込みのミラノ弁が聞けると、今から楽しみでもある。

 イタリア・オペラや伊語の歌曲をもっとたくさん視聴しておくことにしようか。

(5月9日・記)
category:甘口時評, 07:55
甘口時評
  「イタリアに移住した孫娘に電話」
 国際電話という古めかしい呼び名が今でも生き残っているかどうか知らない。

 ラインやらスカイプやら通話料ゼロが珍しくない時代だ。私のように横着で、ごく普通のかけ方をしている人など激減しているのではないか。

 とすると当然割高になる?などと漠然と思っていたのだが、そうでもないらしい。

 孫娘が連れ合いの会社の転勤で、去年の暮に子供2人を連れてミラノへ引っ越した。

 それまでは東京だから、もっぱら電話ばかり。一度子供の顔を見せに、夫婦子供4人で札幌へ来てくれたが“ライヴ”は精々そんなものだ。

 ミラノに行っても、殆ど電話だけというのは同じなのに、実際もっと違った気持ちになるものだ。

 そうそう、国際電話だが、昔より高くなったのか、諸般の事情から割安なのか知るはずもないが、“意外と”高くない。

 料金の口座振替案内や明細書を見て驚いた。これなら東京にかけるのにちょっと毛をはやしたくらいではないか。
 国内なみとは言えないまでも、余り気にしなくてもいい。ウロ覚えだが、イタリアなど欧州の主要国はだいたい1分100円弱。あのギリシャは200円以上、米国になると10円弱だったのではないか。

 ギリシャは国家財政破綻の心配から高いのか。米国のベラ棒な安さは利用頻度の高さだけではなく、政治的なカラクリがなせることかも知れない。

 料金よりも気にしなければならないのが時差だ。8時間というのは先刻承知だが、これがなかなか厄介で、かける時間帯が結構限られて、不便このうえない。

 そういう所へ引っ越して、最初にこちらが驚いたのは、送った家財道具が着いていない。

 当人達は早くもイタ公馴れして、ここは大体こんなもんで、もっかウチメシづくりには難儀するから、と4人でさっさと旅行に出てしまったらしい。

 何しろ孫娘は50歳、初曾孫息子とは80歳も離れている。普段は全く忘れている“年の差”をいやでも思い知らされる。若いモンは元気で、誠に結構だ。
(5月2日・記)
category:甘口時評, 08:48
2014年5月の新譜紹介
 5月の新譜については、体調不良で書けません。
 次回6月にいっしょにと思っております。ご了承ください。
(5月1日・記)) 
category:新譜紹介の目次, 15:24
甘口時評
  「佐村河内守と新垣隆に青柳いづみ子」
 佐村河内事件に、やっと本物の専門家が実に説得力あるいい名文章を書いた。

 岩波書店が出している月刊の読書雑誌(「図書」4月号)である。タイトルは「どこまでがドビュッシー?」。クラシック嫌いはハナから読まないかも知れないが、専門家ならではの、素人にも得心がいくはずだと、ここに大々的におすすめする。

 音楽家でも何でもない佐村河内と、専門家の新垣は全く違う。後者に関する記述が、余人の追随を許さない。

 青柳いずみ子にはラモー、ドビュッシーなど数多の名CDがあり、文筆家としてお内容の濃密と斬新な視点が新鮮な名著をたくさん上梓している。

 「図書」の連載はこれが17回目だが、その前にも非常に興味深いタイトルと内容のものばかりがたくさんある。去年まで同時掲載のノーベル賞作家大江健三郎の一文とは比較が馬鹿らしいほど青柳が魅力的で完成度も高い。

 ここで青柳の達意の一文の内容を紹介したり、まして論評する気など起るようなものではないと申し上げておく。

 論評家とかジャーナリストという肩書きのオジさんオジイさんが、この問題でも、ロクな意見と思いつきともいえないことを、図々しく述べていて、ウンザリした人が多いだろう。

 専門家といわれる人も、メディアに登場している。余り身のある意見を聞いたという話は知らない。

 「図書」の青柳文を読んで、専門家とはこういうものかと、窓が開かれた気になる読者が多いに違いない。

 今度の佐村河内事件は、現代世相を忠実に反映したまぎれもない事件であると、皆が承知している。

 この詐欺師にひっかかって、とんでもない番組をつくり、記事を掲載してしまった新聞や放送局は、せめて贖罪のつもりで、この青柳のような専門家で文章表現に精通している人材を起用して、その能力の恩恵の一端にでも触れられるような番組や記事を特集すべきではないか。

(4月25日・記) 
category:甘口時評, 08:45
甘口時評
  「死線を越えて?また娑婆に戻る」
 死線を越えて、と書くなら、何と大袈裟な、と思われそうですが、今また娑婆に戻ってきた感じである。

 今度の入院で心臓の僧帽弁を手術した。11年前に初めてここの手術をして、術前は7〜8割方は人工弁になりそうとのことだったのに、斯界の名人として名を知られていた名医の腕の冴えで、人工物なしの成功、以来最近まで元気で減らず口をたたき続けてきた。

 11年はちょっとした歳月だ。このところ急にとても疲れ易く、回復が遅く、食欲もない。

 普段診て貰っている循環器内科の主治医・森田医師がいろいろ検査をした結論が、再手術ということで、血管外科のホープ野村医師にやって頂くことに。(世評では手術時間が短い=早い、術後回復が早い=期間が短い)

 何しろ11年前の古傷だ。癒着している可能があるし、当方、今では日本人男性の平均寿命を3年越している。

 前には手術の成功率など全く考えなかったし、死線など露とも念頭になかった。

 今回は違う。全部素人考えで、医師、看護師の口からこんな危惧がもれ聞こえてくることなどない。

 でも、初めて、死期の2文字が頭をかすめた。今度の成功率は何%くらいか。

 11年前、この北海道大野病院を紹介され、医師、看護師などすべて気に入って、今もそれは変らない。

 という意味で、不安など100%以上起きない。

 11年前からここが、何というか波長が合って、死ぬのはこういう病院がいいと言った。病院は人を治す所で死なす所ではない、と言われた名外科医のその時を、今でも鮮明に覚えている。

 今度、生まれて初めて“自分の死”を実感してから、手術室に入るまで、ただの一回も恐怖を感じたことがなかった。生来の楽天主義だけではなく、人間信頼する力の偉大さを痛感した次第だ。

 麻酔が醒めると、すぐ思ったのが、“死線を超えて娑婆へ戻った”である。

 リハビリに励み、また減らず口をたたくことになろうが、よろしくお許し願いたい。

 新譜紹介やイヴェントの延期など、ご迷惑をおかけしました。その分、今後頑張ります。
(4月23日・記)



category:甘口時評, 09:55
甘口時評
  「小保方さんと理研の事件」
 小保方女史と勤務先「理研」の言い分が完全に対立している。”当然”だろう。

 今の段階で当方の能書きを述べるのは軽率のソシリを免れない。これも”当然”差し控える。

 ひとつだけ気になることがある。両者とも言い分の内容はともかく、表現の仕方、言葉の選び方が余りにも青臭すぎる。

 ここはその道の経験者に助力を頼むべきではないか。

 文科省は立場上、大臣などが記者の質問に答える形で見解を述べている。賃上げ交渉にまで踏み込んでいる今の政権だが、ここで指導または助け舟を出すわけにはいかない。

 その内閣の諸会議に呼ばれるのが好きそうな浅利慶太なら面白いかも知れないし、「四季」ファンなら賛同するだろう。少し策士過ぎる?

 堺屋太一という人がいる。通産省の役人上りで、例の”団塊の世代”などたくさんの名キャッチ・フレーズが定着している。小説なども書いているが、殆ど読んでいないので論評の資格がない。

 ”行列のできる弁護士”としてテレビ界の寵児になった橋下徹を政治の世界に引っぱり出した腕力の持ち主だ。最大最強の後ろ楯として功績があったが、機を見るに敏なのか今は内閣府の顧問をしている。ちょっと敏過ぎる?

 小保方女史と理研の言葉の遣い方の拙劣さをカバーするには好適な人ではないか。

 世の中、物書きや、弁が立つといわれる人が少くないが、今度の場合、新聞、放送、作家を含めて数は多いが、こういう場合の適任者となると案外いないものだ。

 諸外国の事を考えて見ろといわれても、プリーストーリーとかモロワとか、ショウくらいしか思いつかない。今の時代にも結構いるのだろうが、こちらが不勉強・無知なだけだろう。

 小保方問題は、大変な責任がある。両者とも、専門分野だけではなく、先程まで書き綴ってきたようなことを大いに考える必要がある。

 天下の理研といえども一つの組織には違いない。本能的に組織防衛をする気になっても多分止むを得ない面はあろう。だが、

 小保方さんは個人だ。野依理事長は特にそうありたい。これを万人が納得するような言動をすれば、同じくノーベル賞受賞者の湯川、朝永前任者に肩を並べる偉大な人物と言われるようになる。

(4月18日・記) 
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category:甘口時評, 07:12