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甘口時評
  「近頃の若い者と、近頃の若くない者」
 近頃の若い者は・・・・と年輩者は口を揃える。昔から繰り返される、珍しくもなんともない話だ。それでも昨今は大分様相が違う。年輩者から見て若者が頼りなく未熟で、いうところの青い感じは、成長が動物の中で極端にスロースピードな人類にとって当り前に過ぎないのだが、単に青いと危っかしがるのは昔のことで、今は無気力、夢がない、望みが低い等々、絶望的に酷い評価が横行している。

 多くの人が指摘している(はずだ)が、これは当っている。そういう若者をつくり出したのは酷評している年輩者だ、と気がついている人だって決して少くない(と思う)。若者が本来もっている、年輩者には羨しくも眩しい、誤りを怖れぬ自信と、推進力に満ちた実行力が今のように過去の神話みたいになると、年輩者の方も嘆いているどころか、不安になって当然だ。

 近頃の若い者は・・・・という低評価は昔も今も一応変ってはないが、単に青臭い以上に魅力に乏しい手合いが増殖しているのに危機感を持ってしまう。いやそれ以上に、近頃の若い者ならぬ昔の若い者の堕落ぶりは、看過できない大問題ではないか。

 夢がない、望みが低い、みな似たようなタイプの小粒な人間がいかに多くなったか。もちろん責任の多くは本人達にあるが、政治の劣化がじわじわと現れてきたのだ、と私には見える。

 一部の大学教師や、いわゆる学識経験者といわれる人達がカタカナ語や難しい専門用語や諸外国の例を持ち出してくれなくても、日常の些細な言動にも、我々がもはや手直し不能と脅えるような光景を目にすることが多くなって、留るところを知らないほどだ。

 乗り物に乗ろうと、混雑する例えばデパ地下に入ろうと、人の大勢集まる所では必ず経験するあれである。眼中にヒトなく、往来の邪魔になろうと、完全に自己中心だ。いや自己そのものも希薄になっているかも知れない。

 原発問題と同じか、それ以上の大問題ではないか。
(5月16日・記)

category:甘口時評, 09:36
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